<ダイヤネット>

環境・地域


地域の官民協働事業 あおば ぱそこん横丁
ボランティア・サポーター体験記

1.氏 名
西川 洋(74歳、男)

2.動機・活動経緯
私は、会社人間を卒業してふと振り返ると「永ーい間地域に無縁で過して来ましたが、生涯で最も永く住んで、家族共々お世話になっている地元に、何か還元せねばならぬ」 と反省し、その後地域中心のボランティア活動を模索し乍ら続けています。
一方、Windows 95の初期、「一太郎・Lotus」で始まったPCとの付き合いは、メール・ インターネット中心の好きな事だけを、遣れる範囲で愉しむ、眞に不勉強な状態を続けていました。幸い、藤本正夫さんのご紹介で「ダイヤネット」に加えて頂き、皆様の暖かいご指導で、やがてWindows Me(Word・Excel)にデジカメやスキャナーも加わって、漸くPCの初歩が一通り自分なりには出来るかと思える処まで来ました。
偶々地元で、パソコンの普及活動をしていた多数のボランティアグループの強い要望が行政を動かして、官民協働事業『あおばぱそこん横丁』(市民のために官がパソコン機器をそろえたIT普及・相談施設で、市民ボランティアが自主運営する)構想が浮かびました。
平成15年春、『「PCを少しは知ってるからお手伝いしましょう」気楽にサポートしてくれる市民の皆さんが来てくれるといいな』の誘いに、応募しました。

3. 活動内容
4月27日の設立総会の後、14人の運営委員を中心に90人余りの市民ボランティアがスタ
ッフとして登録、年会費千円を納めて、『あおば ぱそこん横丁』がオープンしました。
「PCを始めたけどよく分らない」「IT講習は受講したけど、家のPCの前ではさっぱり・・・」
「気軽に相談できるとこありませんか?」など悩みを抱えた市民が殺到、行政も 驚いてスペースの拡大や設備増強の要望に対応せざるを得ない状況となり、秋10月の現状は
● 開店日:毎週月、火、水、土は13〜17時、火曜のみ10〜13時も途中追加
● 当番スタッフ:3回/月/人で、6人/1回を途中から、午前6人、午後7人に増強(他に毎回ボランティアスタッフ数名の参加がありますが、当番にのみ交通費として千円/1回が支給されています)
● 主な設備:ノートPCx12(Win98x10、XPx2、総てインターネット接続可)他にPC持込4程度可;管理用PCのほか、プリンターなど
● 利用者数:略安定した10月の実績は平均午前:10人、午後23人(過去最高は7月の34
人で、待ち時間も長く、大変でした)となって、期待以上の成果を挙げ、行政からも高い評価を受けています。

4. 感 想
自分で「出来る事」と「教えられる事」の違いを痛感しました。ダイヤネットの先生方のご苦労を思い、改めて心からの敬意を表します。私のレベルはスタッフ見習級で「教え、教わる」の当番は毎回大変疲れます。「今日は有難う、ゆっくり教えて貰ったので、良く判りましたよ」などの声に励まされています。

5. 一言追加
特に、身近にPCに精通されている方がおられると、「PCを触らして貰えない」「怒ってばかりで教えて貰えない」などの悩みを抱えたご高齢の利用者が多く、皆さんの周りにも市民が教わり教えあう、そしてPCを通じてお知り合いがふえる・・・そんな交流の場が必要ではないでしょうか?



江戸開府400年記念事業各種テーマに参加して


1.氏 名
竹橋 直久(62歳、男)

2.動機・活動経緯
表記の事業は、そうそうあるものではないこと、江戸文化に触れる恰好の機会であり、自身も江戸の文化や庶民の活力に深い興味があることが参加の動機であった。
ボランティア活動を通して江戸の文化を体験出来るなんてこんなにすばらしい機会はまたとないし、自身の教養のアップにもと期待したわけである。こんな思いは私だけでなく、ダイヤさわやかネットからは16名もの参加者を数えた。

3.活動内容
江戸町民の手習いをうかがい知る新内・常磐津・清元などの浄瑠璃や尺八、江戸料理、黄表紙の講演などの教室ものと、講堂で開催の芸能会などに自身は参加できた。私共は用意された揃いのはっぴを着けて、来場者を会場に導く誘導案内や、退場に際しての安全確認、畳の教室でのちゃぶ台机の後かたづけ等々で多少の肉体運動でもあったが、一方、空き時間には教室の後方に入れていただき江戸文化に触れるという余得もあった。いやむしろこれが今回のねらいでもあり、収穫であったというべきか。

4.思うこと
これだけの多数かつ大がかりな企画と多人数のサポートを擁する主催側(あるいは事務局側)とボランティア活動メンバーとの関係について振りかえるとそれがすべて円滑であったか、一体となった来場者対応が叶ったかには、多くを語るスペースがない。腹立たしい思いもなく参加メンバーがハッピーで散会出来たならばそれにこしたことはなかったであろう。
ボランティア活動として参加した以外に、私自身は、粘土を使った手びねりや飯能焼きの陶芸などにも自主参加したが、これらを含めて延べテーマ数は14にも達した。この江戸文化体験は、小学生と一緒に、和紙灯篭つくりにうちこみ?小学校時代を思い起こしたことや、お神輿を丸の内でかつぐといった異体験でもあった。平成15年の諸参加活動として忘れられない出来事となった。

5.メモ追加1、2
ボランティア活動で役立ち?、学び、楽しもう! まだまだやらなきゃ、なあおまえ・・・?

◎新内節の印象:手習いの始まる際、師匠の新内仲三郎が弟子と粋なながしの装いで三味線を弾きつつ入ってきた。暗くした照明の中を、ひときわ艶のある声調とともに、歩みを進める演出のうまさにも感心させられた。
◎常磐津の教室で:三味線のばちは、おくって、ひいて、はじく由。                                   (常磐津東蔵 師匠)
そして、三味線に「さわり」の工夫があり、この「さわり」による調子を外した音があってまた調子が整う。言い換えて、「さわりとか、遊びとか、矛盾とかが世の中で受け入れられる場合がある」との言は、言い得て妙。
◎千代田区の水道橋の界隈で、区の小学生制作の和紙灯篭が陳列されという ので母をつれて見学に行った。車椅子は先だってのダイヤさわやかネットでの使用説明会の経験が早速に役立った。


        千代田シティアート開催時のスナップ(DSN会員T氏の撮影)

観光ボランティア会運営体験記

 

1.氏 名
中村 守(75才、男)

2.動機・活動経緯
13年2月に市の観光協会から観光ボランティア会を発足したいので協力してくれとの要請があった。最近の流通機構の変化で、商店界は子が親の後を継がぬ傾向があり、その打開策として観光を思い付いたと言う。果たして観光が町の活性化に繋がるであろうかと思ったが、市民運動の盛り上がりが文化財保護の我々の活動にプラスするのではないかと思い引き受けることになった。
当初、私自身は週末が忙しく、観光に来られる人は週末が多いと思ったので、4回の講習会と1回の史跡巡りのみを引き受ける約束になった。市の広報で希望者を募集した処、恐らく5〜6人しか集まらぬと思っていた定員24名が3日で一杯となり、市関係者を喜ばせ我々を驚かせた。早速リストを見せて貰ったが、何と岩槻地方史研究会の仲間が6名も居るではないか、安心して私は引き込むことにした。

1ケ月程経って市の担当者から電話があり副会長2人は決まったが、肝心の会長が決まらず事務手続きが出来ず困っているとの事。本命と思われた友人にきいた処、予算的な裏付けのない会の運営は引き受けられないとの事であった。

当然である。私は観光協会が多少とも補助金を出す事を条件で交渉し、幸い予算が出たので引き受けざるを得なくなった。

3.活動内容
スタートは先進都市・茨城県古河のバス見学から始まった。13年10月から発足して翌年3月末迄で13団体・194名程度であったが、14年4月から15年3月末迄は市がインターネットに出したこともあって28団体・798名の大きに達した。毎月1回の連絡会で受け入れ見学者10名につき1名の割合で担当者を選ぶが、急ぐ場合は事務局から直接担当者に連絡する事になる。また、更により良きガイドの為の研修も必要である。

15年4月からは市からも補助金が出て、2期生15名の養成に入った。観光希望者が100名に達すると10名の案内者が必要となり、週末の場合は人員確保が容易でないからだ。補助金増加で、今まで旗とバッチのみで頑張って来たのが、帽子とマイクの購入可能となった。

4.感 想
思えば約2年間順調とも言える経過を辿って来たが、問題は山積している。
これは当初からの懸案でもあるが、旧城下町のこともあって史跡は豊富にあるものの史跡間の距離が遠く、来訪者の主体となるお年寄りには厳しい。特に現在復元工事準備中である県指定「遷喬館」の日本間の使えないのは痛い。
その為か、本年度は年末現在10団体・218名と少ない、この調子では年度末まで400位ではなかろうか。
幸い、我々の所属する観光協会の会長が替わり、組織替えと共に町全体で我々をバックアップする態勢が整いつつあり、県や国自体も景気の低迷で観光に踏み切らざるを得ない事態となって来た。まして、岩槻市は16年度に市政50周年を迎え、17年度は「さいたま市合併」の節目を予定しており、いわば岩槻市最後の年でもある。従って、昭和4年以来途絶えている総鎮守久伊豆神社の黒奴踊り(日光・赤奴、甲府・白奴と共に天下の三大奴と言われたと言う)の復活の声もあり、年度後半を如何に処理するかが現在の課題と言えよう。

5.一言追加
より多くの方々に岩槻を紹介する為には、「人形の町」のアピールと観光施設・土産品・飲食店の充実が急務である。是非、岩槻の考古・中世そして近世を見学されて、そのロマンをお楽しみになりませんか、お待ちしています。


君津ミツバ会会員活動事例
  

1.氏 名
三田 昌夫(73歳、男)

2.動機・活動経緯
私は、小学校入学時日支事変勃発、小学六年生で太平洋戦争に突入という戦争の落とし子のような存在でしたので小さい時から農繁期奉仕、軍需工場動員等奉仕奉仕で明け暮れておりました。 植木等のように、サラリ−マンは気楽な稼業と来たもんだと考える人は恐らく別人としても、真面目な三菱マンであればあるほど何時かはひとり立ちしてみたいとひそかに 思いを抱いていたに違いありません。
しかし、停年退職後の世の中は、それほど甘いものではありません。報酬を得るためには、自由業は別としましても、どんな職場にも厳しい現実が待ち受けております。
それと言いますのも、やはり人間もホモサピエンス人類という動物である以上は生存競争という宿命を背負っているためかもしれません。しかし、余生は何等かの楽しみと夢を持つべきではないでしょうか。 それが人として生まれてきた生甲斐というべきものではないでしょうか?
私の場合、私の郷土は東京湾岸の街木更津の近郷の君津市です。当時川崎から木更津へとアクアライン計画で沸き立っていました。丁度君津市の市長が私の木更津中学の先輩でもあり、君津市の山をミツバツツジで飾ろうではないかという壮大な呼びかけもあり、一寸大学時代に国土計画学で環境問題に関心を持ったこともあり花木に対する愛着もあったものですから、渡りに船とばかりに君津ミツバ会に入会し、毎年春と秋の総会を始めとして故郷君津の山を開発することになったわけです。

2.活動内容
何といっても、自然の山を探索する程気分の伸び伸びすることはありません。 北島サブのうたう与作の気分そのものです。ここの柿の木は、山猿が腰掛けて柿を食う木だとか、地獄の谷とかいって一寸した山間の裂け目を覗いて下を見ると足がすくむような千尋の谷であったりして驚くことがあります。 南東の奥深くに、整然と植林された東大の演習林があったりで、自分の故郷であって異郷の地を彷徨っているような気分すら感じられます。 もう何年か前に県有林の植樹祭で三年生のミツバツツジ苗木を植えたのですが、そのミツバツツジの山里は現在どのようになっていることだろうかと?

3.感 想
春の花見頃に一度現地を見学したいと思っています。 昔山ひとつ隔てた実は私の隣僻村だった一画に世界的なDNA研究所も建てられて世界各国から学会等で学者や見学者が訪れるようになりフランス風のホテルオ−クラも進出し、温水プ−ルや宴会等に利用することも出来るようになりました。
ヒトDNA解析も終わりになっていることでしょうが、すべてコンピュ−タ−自動解析により得られたデ−タは、屋上のアンテナから全世界の著名研究所に直接伝送されるという世界公開主義になっているそうです。
よろしかったら東京駅八重洲口からバスでアクアライン経由で君津から木更津への旅をご一緒しませんか?

「みつばつつじ」と著者(右)      君津市の花「みつばつつじ」の前で記念写真

 


子供と太鼓を叩く

1.氏 名
金田 和友(68歳、男)    

2.動機・活動経緯
現役時代全くと言っていいほど地域社会とご縁の無かった私が、たまたま隣人の勧めで太鼓を叩くようになってから4年経ちました。この会は成宗囃子保存会と称し、地元の有志による郷土芸能保存会です。会員は食堂の親父、大工の棟梁、コンビニの若旦那、元官吏、元社長、左官、童話作家、5児の母などが中核メンバーで、自分達も練習をしていますが、常時10人以上の子供達を育てるために物心両面で苦心を続けています。

3.活動内容
活動の概略を記しますと
会費 月1000円
行事参加 鎮守『須賀神社』の祭、節分、新年の門付けのお囃子
出前ボランティア 児童館、老人福祉施設、同窓会、小学校の記念祭、他の神社など

この会に入れていただいたお蔭で、いろいろの良いことがありました。
地域社会に自然と受け入れてもらえた
このご縁で地元に詳しくなった(うまい飯屋、体操会、諸行事など)
ささやかなボランティア活動を通じて、感動体験を重ねている
(福祉施設でお年寄りに泣かれたこと、門付けの獅子舞を幼児がこわがりながらも毎年呼ばれること、記念祭や同窓会で子供囃子が大好評だったこと、会の子供が入試に合格し親子にお礼を言われたこと等々)

4.感 想
今の日本で一番大事なことは、社会が一体となって子供を育てる事ではないでしょうか。貧者の一灯の如き微小な活動ですが、現役時代よりも充実感を抱きながらはげんでいます。

5.友人のコメント
私が所属しているNPOの先輩であるKさんの勧めで、“杉並郷土芸能大会”を見学する機会を得た。今回第19回ということであった。
観客数は決して多いとはいえなかったが、熟年が指導者として、戦後途絶えていた郷土芸能を復活し、青少年に伝承し、其の青少年が成人となり又子供を指導していくという基盤がしっかりと出来上がっているなと感心した。又、私自身、祭囃子とかお神楽にはとかほとんど興味を持ったことがなかったが、うかうかするとご隠居生活と言われかねない我々世代と小中学生が、一体となって郷土民族文化の伝承を楽しみながら行っていることに深く感銘した。

祭囃子
祭囃子といっても、はやしの速さは夫々異なり、大きくは「早間」「中間」「大間」と三つに分かれるということを勉強しました。
現在杉並区では K先輩が頑張っている須賀神社を拠点とする成宗囃子、下高井戸八幡神社の大宮前囃子と高井戸囃子、阿佐ヶ谷囃子、井草囃子などが保存会の方々の努力で復活継承されているそうです。

 稽古を終わって  7歳から84歳までの仲間達


コンテナ・ガーデン植裁管理ボランティア体験記

1.氏 名 
.松浦 通隆(73歳、男)

2.動機・活動経緯
私は田舎に育ったためか昔から花が大好きで、土いじりが生活の一部でした。物言わぬ花が日頃の手入れに応えてくれ、見事に咲き誇った時は最も心がなごむ時であり、これを楽しみに花作りを続けて参りました。
川崎市緑政局緑政課主催の「平成12年度花と緑のまちづくり講座」の募集を市の広報で知り参加し、ここで川崎市に緑の基本計画「かわさき緑の30プラン」と言う緑の保全及び緑化の推進に関する立派な計画のあることを知り、一方で乱開発により万葉集にも詠われた多摩の横山の緑が容赦なく破壊されていく現実を目にするにつけ何かしなければと考えていました。「緑の30プラン」の一助となればとの思いで、「花と緑のあふれる高津」の実現に向け、区民と行政とのパートナーシップにより潤いのあるまちづくりを推進する「区民ミニ・ガーデン」に早速参加し、現在も微力ながら活動を続けております。

3.活動内容
区内の9公共施設に設置されたコンテナに、公募で募集の個人またはグループが、各担当者の自己責任において草花を植栽し、公共の空間を潤いと彩りあるものにする維持管理の外、区役所前の時計台の花壇、及び溝の口駅前キラリデッキ花壇の共同手入れや、溝の口駅前キラリデッキ花壇への植栽デザインのワークショップ、また区民の手によるフォ−ラム開催などなど花と緑の推進を行なっています。年に数回開かれる全体会では各施設毎の活動を報告し、お互いの情報を交換し合い、また花に関する講演会や寄せ植え実技などを参加者一同が和気藹々と楽しくやっています。尚、花苗の費用は決まった年間予算の中でやり繰りしなければならず、年中花が絶えないように気配りが肝要です。

4.感 想
草取りや夏場の灌水が最も大変な作業ですが、綺麗に咲いた花がこの苦労も忘れさせてくれます。以前は植えた花の苗が翌日行ってみると踏みつけられていたり、散歩の犬に無惨な姿にされたり、また咲いたばかりの花を摘まれたりしていてがっかりした事もありますが、最近ではこう云った悪戯が減り、通りがかった人から、綺麗ですね、ご苦労さんと声がかかるまでになりました。優しい言葉を聞くとやり甲斐が感ぜられ、「花づくりで仲間づくり」にまで発展させたいと願う昨今です。

5.一言追加
公共心の涵養に役立つよう望むと共に、一人でも花の愛好者が増え、緑の保全から創生にまで広げ、「かわさき緑の30プラン」の実現に一歩でも近づくよう希望したい。ご参考まで、「花と緑のまちづくり推進委員会」で私が作成したHPのURLは下記の通りです。  http://www.city.kawasaki.jp/67/67kusei/home/kumin/hanamidori/tfgpc-top.htm

キラリデッキ花壇の手入れ


第1回「福祉まつり」ボランティア体験記

1.氏 名
斉田 旭男(62歳、男)

2.動機・活動経緯
私は、平成14年3月末現役を引退すると同時に、会社の先輩の紹介により“ダイヤさわやかネット(DSN)”に入れて貰いましたが、以来各種の活動には、出来る限り積極的に参加しよう心掛けて来ました。取り分けボランティア活動は、現役時代全く経験しなかったことですが、DSNの活動の中でも特に重要で、個人的な関心もあるので、都合が付く限り参加しようと思って居ります。

3.活動内容
「福祉まつり」は、平成14年迄“はあとフェスタ実行委員会”と“ちよだボランティアセンター”の共催により、「はあとフェスタ」の名称で開催されて来ましたが、平成15年から両者の上部組織である“千代田区社会福祉協議会”が主催することとなり、名称も「福祉まつり」に変更され、その第1回が平成15年12月12日(金)、13日(土)開催されました。

行事の目的は、障害者福祉への理解と地域福祉・ボランティアの市民活動を進めることで、平成14年迄と変りありませんが、平成15年から参加団体も増え、行事の規模・内容共に充実・拡大しました。

DSNとしては、平成15年もスタッフ・ボランティアとして参加(参加者:延べ30名)し、本行事の一つである「はあとバザー」の値付けと販売業務に協力したので、私もその一員として参加しました。

4.感 想
初日は、バザー品の開梱、値付け、陳列、掲示等の作業を行いました。DSNメンバーの殆どは、この作業に慣れて居たので、極めて順調に進みました。只、値付け作業だけは、仲々難しく苦労しました。ボランティアの為には、出来るだけ高値を付けなければならないと思う気持ちと、バザー品を沢山買って貰う為には、出来るだけ安い価格を付ける必要があるとの現実的な判断との狭間で、幾らにしたら良いのか大いに悩みました。

2日目は、愈々バザー品の販売でした。午前12時入場開始、会場内は即刻満員状態となって、バザー品が飛ぶように売れました。私は、午前中来場者への案内と誘導作業を担当、午後は会場内のレジで袋入れ作業を手伝いましたが、大変忙しくて、久々に心地良い汗を流しました。午後3時販売終了、ホットする間もなく、残った商品の再梱包等後片付けに追われ、午後3時30分頃全ての作業を終了しました。

事務局によれば、バザーへの来場者数は、365名(年間日数と丁度同じ)、売上金額は477千円で、何れも過去最高の由でした。

私は、商社出身のせいか、物を売るのが大好きです。バザーをお手伝いするこのボランティアは、私の性分にピッタリです。来年も是非参加したいと思います。

5.一言追加

このボランティア活動は、特別な知識、技術、経験等を必要とせず、誰でも参加出来ると思います。然も、売上金が障害者への福祉等に使われて居り、千代田区も大いに力を入れて居るので、大変やりがいのあるボランティアだと思います。

来年も是非多くの方が参加されるよう期待して居ります。                              

 

ダイヤビック大沢教室立ち上げについて 

1.氏 名
巌 隆吉(79歳、男)

2.動機・活動経緯
三鷹市政改革のための市民プラン21に参加することにより、地元との関係が密接になりました。 平成13年5月の大沢コミュニテイ祭では地元のパソコンの権威者と財団の支援を得て、ホームページの閲覧とデジカメ写真撮影展示会を実施しました。

その経験に基づき平成14年5月の大沢コミュニテイ祭では、ダイヤビック(高齢者の為に調整されたエアロビック)のPRのため、ダイヤ高齢社会研究財団とひばり会(ダイヤビックのインストラクターが会員)の支援を得てダイヤビックの出演展示を行いました。

これを見学していた地元の皆さんから、是非大沢原町会公会堂でダイヤビックの研修会を開催して欲しい旨要請が出て来ました。

そこで、地元の町会副会長の加藤さんのお世話と財団並びにひばり会のご支援により、平成14年9月よりダイヤビック大沢教室を立ち上げました。

3.活動内容
最初は何時まで続けられるか、皆目自信がありませんでしたが、町会側世話役の加藤さんの熱意とひばり会インストラクターの大橋さんや宮崎さんほか皆さんの大変熱心なご指導により、毎月1回の大沢教室研修会を開催出来るようになりました。

丁度10回の研修を終えた頃の平成15年5月、大沢コミュニテイ祭が開催されましたので、大沢教室から9名、葛飾区の教室から10名、ひばり会8名計27名が出演展示し、地元の皆さんに感銘を与えることが出来ました。

その後、大沢教室の会員も約20名になり、月1回の開催も月2回に増え、平成15年12月には、遂にその開催回数も20回目を迎えた。

目下、第2と第4火曜日開催のことにしているが、受講者も音楽入りのダイヤビックは楽しくまた、実施後身体の調子が良くなるので、平成16年からは、他の火曜日もインストラクターなしの自主研修を実施したいという程熱を帯びて来ました。世話人の一人として大変嬉しく、次の大沢コミュニテイ祭への出演を楽しみにしている。

4.感 想
私自身は高齢社会化の折から、かねがね、ダイヤビックのような体操を地元でも実施し、多少なりとも地元に貢献したいと思っていましたが、この大沢教室の立ち上げと継続開催については、参加される受講者はもとより、加藤さんなど地元の世話人、さらにわざわざ遠いところから馳せ参じられる『ひばり会』の皆さんの大変な熱意に、心から感謝しています。

インストラクターの、目先を変えて受講者の興味を引くような指導や、 また、ストレッチ等での動作の目的やその効用についての丁寧に説明には、受講者としても大変感謝しています。

このような大沢教室を長く続けるためには、上記のようなインストラクターの創意工夫は極めて大事だと痛感しています。

なお、私たち世話人もPRのための、チラシの配布や、デジカメでのスナップ写真の提供等、裏方として受講者が楽しく参加出来るような雰囲氣づくりが極めて大事だなと思っています。

5.一言追加
社会参加は手近のところから始めましょう。


ダイヤビック大沢教室の大沢コミセン祭出演風景(平成15年5月25日)

 

 

 


東京港野鳥公園シルバーガイド
ボランティア活動に参加して

1.氏 名
小原 眞二(71歳、男)

2.動機・活動経緯
ボランテイア募集のチラシを娘が持ってきた。 東京都が管轄する動物園、 公園(上野、井の頭、多摩、野鳥公園の4園)のシルバーガイドボランティアである。丁度リタイヤ直前であったので応募してみた。

採用主体は東京いきいきらいふ推進センターと言う所で、動機、ボランティア観、希望活動場所等のレポートを提出、書類選考後面接があり受講者を決定、事前研修6日27時間、現場実習5日20時間合計47時間の受講である。

ボランティアとは何かから始まって、高齢期の生き方、自分探し、話力、接遇コミニユケーション、ロールプレイ等各々専門の講師による研修である。

私は井の頭自然文化園を希望したが面接官(女性)がモルモットを抱けますかとの質問に一瞬戸惑いながら色よい返事をしなかった。通知は後日という事であり、だめかとあきらめていた所、野鳥公園に実習に行けと通知がきた。

鳥のことなど殆ど知識がなかったがモルモットを抱くよりましと思い現場実習に参加。最終意思確認の後、野鳥公園で活動することに決めた。

3.活動内容
24.3ヘクタールの敷地に淡水池、潮入りの干潟、里山の自然が東京大田区東海にある。山野の鳥、水辺の鳥204種が観察されている。

毎週1回(担当曜日)と5週に1回の日曜日に入園者へ野鳥を主とした動植物や、施設の説明案内の他、園の行事への協力などを行う。

2002年4月 第1回バードウオッチング検定2級を取得。

担当班の班長を2回経験した。

1)活動日:公園開催日(月曜日休園)
2)編 成:火、水、木、金、土の5班編成(人員:概ね60歳以上約50名)
3)活動時間:9:30am〜10:00am ミーティング、10:00am〜3:00pm 活動

4.感 想
退職後、シルバーガイドボランティアに参加して9年が過ぎた。
企業という囲いから出て自由に平等な立場で人々との交流が出来て楽しい。
来園する多くの人々とのコミニユケーションは適度の緊張感と充実感が得られ又、グループの仲間との幅広いジャンルの会話を楽しみながら社会に少しでも役立っているかなという満足感は健康と生きがいの源になっている。

当初の目的の1つであった高齢者の健康、生きがい、の助成という考えは、バブルの崩壊から、時代も激変し東京都の方針も変り、いきいきらいふも解散、目下自助自立今後のあり方を模索中。

5.一言追加
これからボランティアを始めようとする人へのアドバイスをするとすれば

1)出来れば家族を巻き込んで一緒に活動する。
共通の話題が出来て会話も増え知恵も出る。
2)退職前にへそくりを作っておく。
ボランティアといえ交通費、付き合い等若干の費用要。
3)無理をしないで出来ることを楽しく実行。
参考になれば幸いである。

ネイチャーセンターより潮入りの池を望む

 


「ふれあいのまちづくり」への取組み

1..氏 名
大前 安人(78歳、男)

2.動機・活動経緯
小生の住所西東京市に於いて、社会福祉協議会が「ふれあいのまちづくり推進委員会」を結成、住民懇談会を小学校通学区域毎に設定、小生の住んでいる保谷小通学区域は平成14年末頃より住民への説明会、アンケート等を行い、そのうち平成15年3月、小生ともう一人の60代の方が代表となり「ふれあい保谷」がスタートした。

3.活動内容
その後、あいさつ運動、なやみの相談、一人暮らしの老人を囲む昼食会等、少しでもその地区の役に立つものを皆で相談しながら活動を始めた。

小生も代表の一人として頑張っているが、他地区(西東京市以外)の方々の実施状況も聞いてみたい。

4.感 想
体調不調なるもいくらかでも役に立てば嬉しいものです。
福祉協議会のアンケートに答え、会合に出席の皆様と話し合つている間にこの会を立ち上げることが出来ました。
少しでもチャンスを逃さないことが大事なことですね。

5.一言追加
まだ立上がったばかりなので、どうすればよいか皆さんにもお知恵を借りて役立てたい。
   お互いにどうすれば助けあえるか(病気、盗難対策、障害者対応etc.)。
   年寄も大切だが、子供達をどうすればよく出来るか。
   民生委員その他町内会等との連絡他。 

「ふれあい保谷」に関心のある方は次のホームページにアクセスしてみてください。
   
http://www.furemachi.jp/profile/06.html


ボランティア活動事例【防災活動】

1.氏 名
羽佐田 恭正(68歳、男)

2.動機・活動経緯
太平洋戦争の最中、昭和19年に東京・豊島区から愛知県幡豆郡へ妹と2人縁故疎開をしました。そこで昭和19年12月7日東南海地震、引き続いて昭和20年1月13日三河地震に遭遇しました。第1回目は昼間で道を歩いていた時で、疎開先の家に帰ったら離れは全壊、母屋は傾いていました。その後母屋を修復して住んでいましたが、余震がひどく、皆が1部屋で寝ていた真夜中、2回目の大地震が来ました。皆、家の下敷きとなり、私から1人置いて寝ていた従姉は鴨居に潰されて即死。私は幸いにもカスリ傷も負わず蒲団にもぐって夜明けを待ちました。
そんな体験を近所で【ひぎり自主防災懇談会】を立ち上げた防災研究家の大間知倫氏から会で発表しろと言われ、それを機にこの懇談会に入会しました。

3.活動内容
【ひぎり自主防災懇談会】は横浜市港南区日限山に住む有志のメンバーで組織され、その目的は●地域住民の防災意識の高揚●自治体の防災事業への寄与で、日常の研究活動の他に年1回日限山小学校の体育館を借りて「防災フェア」を開催しています。

このフェアには消防署は勿論のこと、区役所や各団体の協力を得て、地震車に乗っての体験や、煙充満のテントの中で避難訓練、防災用具や緊急対応食品の展示を行う一方、会員の協力でお握りやトン汁の炊き出しも実施しています。さらには、会員が研究開発した、新聞紙だけでご飯を炊く実演も行う等なかなか多彩であります。

私は当初は所属しているボーイスカウトのメンバーと一緒に炊き出しや毛布で簡易担架を作って人を運ぶ訓練をしたりしていました。今は各種の雑用を手伝っています。

その後自治会を中心にした【日限山中学校地域防災拠点運営委員会】が平成11年に組織されることとなり、私は自治会の役員ではありませんでしたが、自主防災懇談会から派遣される形で初年度の管理情報班長になり、いざという時の名簿や避難場所の連絡メモ作成等の事務処理。年1回行われる防災訓練では第1〜2回目は発電機、投光機の運転をしながら、来場者へ説明と体験をして貰うことを担当しました。

4.感 想
昔の人は的確に言ったもので、地震、雷、火事、親父。ただし、4番目の怖さはサッパリですが、地震ばかりは、発達した現在の科学でも容易に予測が出来ず、1度やってくれば被害甚大という誠に厄介な代物です。嘗ては関東に比べて関西は大丈夫と言われていましたが、ご承知のようにそれも信用出来なくなりました。しかし、多くの人は自分だけは大丈夫と思っています。
従って前述の防災フェアや防災訓練に多くの住民が参加するわけでもありません。それなりの関心はあっても具体的に活動が無いのが地震対策かと思います。

また、私の経験では、雷は天候具合、火事は火の具合で終わりが分かりますが、地震は大きく揺れたからといってもそれが最後なのか、また来るのかサッパリ分からず、余震の度に身構えて気が休まらない怖さがあります。

かく言う私も何か対応策を取っているかと言えば、大したことはしていません。家では水少し、食料少しの備蓄程度。しかし、これもいざというときに所在が分かるかといえば、何とも言えない。そこで敢えて言えば毎日持っているバッグのなかに@懐中電灯A携帯ラジオB小型ナイフCホイッスルD絆創膏を入れている位です。

一生で巡り遭わなければ幸せですが、こればかりはなんとも言えない。皆さんも少しは対策を取られたら如何でしょうか。



ボランティア活動体験記-NPO法人設立ほか

1.氏 名
横木 茂樹(77歳、男)

2.動機・活動経緯
昭和59年2月1日定年退職を契機に地元町内会のお手伝いに参加、同時に現役時代からの夢であった高齢者保健福祉のコンサルタント業務として3月「高齢化社会研究所」を設立し保健福祉施設の建設企画に着手しました。
然し夢は見事にはずれ3年で仕切り直しをする結果となりました。

旧地主と商店街自営業主流の役員構成の単位町内会(現在2,600世帯)では サラリーマン社会の理屈は全く通用しなかったこと、又田中角栄氏のロッキード事件で福祉改革法案審議が大幅に遅れ10年延びたことが原因です。
大変な出費となりましたが、今から思えばよい経験になったと思います。

ボランティア活動には色々な取り組みがあると思いますが、地域課題や生活課題をテーマにした新しい市民社会(NPO、NGO)づくりに興味があり、現在も市民仲間で話し合いを続けております。

3.活動内容
○地元町内会の執行部役員を続けているほか、港北区保健衛生の保健活動推進員会役員として15年以上勤め、横浜市長表彰などを頂きました。
○鶴見川関連のTRP連絡協議会は流域市民団体8グループの会であり、元々長寿社会開発センターの助成金を基に立ち上げしたものであります。

平成15年年度に横浜市環境保全局から助成金を受け市・区・国土交通省と市民団体とのパートナーシップ協働事業で、河川敷10,000平方米の多目的市民広場づくりを進めており、平成16年度まで続きます。

○県政モニターOB会福祉部会は神奈川県福祉部各課との接点を持ち、介護予防対策や外出支援施策を進める上で調査研究がスムースに運んでいます。
○暮らしいきいきサポートの会は平成14年1月28日にNPO法人登録完了。

会の活動を「高齢期40年代に相応しい高齢者像の創造」とし、介護予防・生活支援事業に活路を見出します。現在外出支援サービスと訪問介護事業に取り組み中です。

4.感 想
 企業現役時代は組織・役職・同僚に守られ会社にぶら下がっていれば用が足りました。退職すると初めて足が地に着いていないこと、孤独になって行くことに気付きます。二本足でなく三本足でないと突風や横波に立ち向かうことができません。一本の補強足として社会活動や市民社会づくりに参画して自立することが必要だと考えております。

5.一言追加
 織田信長は人生50年と言った。今は人生80年から100年。永い老後の生活を国の年金で総て面倒見ると言うのも難儀。そうであるなら、政治家や官僚だけに任せず、NPO・NGOの市民社会づくりで業務をカバーし、共に生き、共に助かる構造に改革しよう。

 <衛生局保健活動推進員の全国大会表彰式が岡山市で開催時>
(平成15年11月20日)


横浜市アマチュア無線非常通信協力会

1.氏 名
西山 峰雄(79歳、男)

2.動機・活動経緯
雑誌「子供の科学」から天文とアマチュア無線に興味を持っていましたが、災害発生で一般通信網が途絶した時に個人所有の無線機が情報伝達など役に立つことから、横浜アマチュア無線クラブの提唱で昭和47年横浜市はアマチュア無線非常通信協力会を結成しました。各区のクラブに勧誘があり、これに入会しました。以後30年継続、いざという時のために毎年の防災訓練 (9〜11月に数回)には必ず参加しております。

30年前は警察と消防の一部の署員に無線機が配備されていましたが、民間では7MHzの市民バンドが少数あるだけで、今のように携帯電話はなくアマチュア無線は貴重な存在でした。各区のアマチュア無線クラブが同調し、地震、台風、火災などで電話線が機能停止した時に、新しく許可された超短波アマチュア無線は一般民間からの情報発進源として注目された訳です。携帯が普及した今でも災害発生時などには輻輳して架かりにくくなる携帯や通常の電話は非常時の通信伝達機能が弱いと言えます。

この協力会スタート直後は,まだ市の無線網も出来ていませんでしたから、毎月第1土曜午後は市役所と14(現在は18)の各区役所の相互連絡がアマチュア無線でうまく無線連絡出来るかどうかがまず問題で個人の無線機を持込んで交信演習をしました。区ごとに無線機を設置し市役所災害対策室の無線室と連絡を取り、各区役所建物の最上階アンテナなら相互連絡できることを確認することから始まり、次には区役所とその傘下の小学校中学校の避難所と区役所との連絡が可能かどうか毎月数人ずつ出席して交信、信号強度の情報交換をしました。
山間の凹んだ所の小学校とは交信の難しい所もあります。現在は全国に先駆けて540の避難所の小中学校すべてにアンテナとポール類が設置され我々は個人所有の無線機だけ持参すれば良い様になり重い器具を持参せずに済みます。

3.活動内容
昭和47年スタート後5年位は皆熱心でした。各区の無線機とアンテナは市の予算で設置されました。各ボランティアは個人持ちの無線機とアンテナを持参して地震、火事、水害、道路、建物倒壊などの想定被災状況、怪我、病気、人身事故など被害状況の伝達、消防車や医師の派遣要請などなどの想定通信が送られました。伝達だけで処置は不要の場合は伝えるだけで良いのですが、依頼の時は困ります。近くに災害対策本部長(通常は区長)または代行者がいれば良いのですがそうでない場合は、機械操作の担当に過ぎない権限のない我々は困ります。
この辺は行政と一体となって活動する時の問題点です。演習の時は区長になったつもりで「すぐに救急車を出動させる」など応答していましたが実際には難しい問題です。区役所にいても無線機の設置してある場所は市全体の防災ネットワークシステムのディスプレーの隣、区長室総務部長室の前ですが何時も在室とは限らない、特に災害時に責任者はどこにいるか問題です。また今はボランティア出席者が減って来た区があることも問題点です。

4.感 想
今は直下型大地震を主体に考えていますが、鶴見川、境川各支流などの水害や台風もあります。このほうは地震よりはましでしょう。戸塚区内では境川上流が溢れたことがありますが、この時はアマチュア無線には出動要請がなく知りませんでした。
阪神大震災の時は超短波アマチュア無線は不埒者が妨害電波を出して3日間は使い物にならず電波管理局の取締りでやっと使えるようになり、日本アマチュア無線連盟は100台のハンディ無線機を提供して避難所間の連絡に当てました。神戸大学無線部は一般情報、高台からの展望情報を短波のアマチュア無線で新聞テレビよりも早く海外に情報流したと自慢していますが、我々は地元の救済を優先的に考えて事に当たりたいと考えています。

5.一言追加
現在携帯電話の普及により、超短波アマチュア無線への関心は薄れ若年層が増加せず協力会ボランティアの高齢化、減少が問題となりつつあります。現在職にある者はその業務事業所の災害対策に専念せねばならず、この種の非常時ボランティアは必然的に定年後の老齢者が担わなければなりません。地域の事情に詳しいということは老年者が有利です。参加者が増加することを望みます。


和紙でつくる立体灯ろうワークショップ     

ちよだシテイアート2003 

 

1.氏 名
藤本 秀夫(75才、男)

2.動機・活動経緯
平成16年1月、江戸開府400年記念事業実行委員会が各種事業でボランテイア募集を企画中の記事を見たと友人が知らせてくれる。早速事務局の(財)千代田区コミュニテイ振興公社を訪ねる。詳細目下検討中という。決まり次第知らせてもらうこととする。5月になり参加可能な頭書事業の詳細を知る。ダイヤさわやかネットの月例会で話し、参加することとし16名希望者があった。

3.活動内容
千代田区内の御茶の水小学校他7校の児童約400名が作った立体灯ろうが8月下旬に飯田橋の「アイガーデン」で開催される「ちよだシテイアート2003」に展示点灯されることになった。灯ろうは1回約2時間、2回で完成する。1回目の作業は大変なので、ボランテイアも説明会で実習をやる。作業は、手で水にといた楮の繊維を膨らませた風船の周りに貼りつけていく。
中々思うようにいかない。2回目の実習は活動当日やることにする。貼りつけた楮が乾くのに4〜5日かかる。2回目は中の風船を割って取りだし、口金をつけ、小さい電球が中に入るようにし、試験点灯をして、完成である。
子どもたちは、思い思いに風船に貼りつけるが、水分の量により、うまくいかない。それを、ボランテイア先生が手伝って、時間内に出来るようにする。こちらがやれば早いが、出来るだけ手を出さず、口で教えるのも難しいものだ。

4.感 想
朝1時間目の授業だと準備に1時間をみて7時現地集合で6時には家を出ることになり、チョット大変だった。それに一日立ち仕事なのには疲れた。
夕方明かるいうちに終るので、反省会もコーヒーで、先生、先生といわれたとか本当の反省会となった。物を作ることの好きな小生は、子ども達と一緒にやることで楽しい時間を過ごすことも出来、大変有意義だった。

5.一言追加
高齢者にとってこのような活動は、色々な刺激も受け、運動量もあり大変有意義だが、これらのニーズを見つけるには、皆が日常、新聞やボランテイアセンター情報などに注意するとともに、日常会話の中で話すことが大切だと思っている。

立体灯ろう製作中

 

 

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B.社会福祉

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